現代MTGは多角的?

ラヴニカへの回帰ブロックがスタン落ちしたあたり(2014年9月)でマジックの構築戦から離れ、かれこれ3~4年ほど時々リミテしつつハースストーンに浮気していたが、ドミナリア発売からはリミテだけでなくスタンでも遊んでいる。

 

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1年で2000tix貯めるのが今のモチベだから、バンクロール崩壊を恐れてFriendly Leagueの方に籠ってます。雑魚か?ペイアウト率は勝率52%からCompetitiveの方が良くなる親切設計なんだけど、分散とメタの変容に完全にびびってる。雑魚です。まぁリハビリもかねて・・・。

使ってるのは細部をいじりつつ赤単。今のところ25勝15敗で勝率63%

 

赤単がメタ的にどうのってのはよくわからんし置いておくとして(あまり良くない気はする)、スタンダードというフォーマットは昔と変わったんだろうなぁというのを漠然と感じている次第。

一番大きく変わったであろう点はミッドレンジとよばれるアーキタイプの台頭。MTGWikiのスタンダードの変容の項目を見ると、デッキ名に「ミッドレンジ」と冠するものが現れ始めたのはラヴニカへの回帰前後から。もちろんそれ以前にもミッドレンジに括られるであろうデッキは存在していたが、ミッドレンジというアーキタイプの認知が進んだのがちょうどその頃、僕がHSにハマってスタンをやらなくなる頃だったんだろうなぁと勝手に思う。

 (ラヴニカ回帰以前のミッドレンジでパッと思いつくのはLRW期の《護民官の道探し》が入った黒緑エルフとか?)

 

マジックのデッキは何かしら方向性を持って組まれるべきだ、ということは初心者にも教えられることだろう。例えば赤単バーンは方向性という点では最も尖った矛であり、相手にぶつけてダメージを稼げないカードはなるべく採用すべきではない。最硬の盾は青白コントロールか。青白コントロールはゲーム開始直後から全力バックダッシュを決めるべきで、序~中盤に中途半端にダメージを稼ぐだけのクリーチャーは必要ない。

方向性が一致したカード同士は相互シナジーを持ち、実際のゲームの中でそれらは本来のカードパワー以上の働きができるようになる。言い換えれば、方向性とは弱いカードをごまかしつつ使う理論でもある。古臭い例を挙げれば、スライカーブで有名になったPaul Slighの赤単スライ(1996年)はメタゲーム・数学・そして方向性に基いた強いゴミ束であった。

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MOでtype2の赤単スライを再現

 

 

しかし、往々にして1つの方向性を極めたデッキは対策されやすいという弱点がある。墓地を使う極端なコンボデッキがそのコンボ以外に勝ち筋を持たなければ墓地対策1枚で沈黙してしまう。

現代MTGにはゲームの流れ無視でたった1枚で勝てるような強力カードがどの色にもある。それらをプレイするための多色土地も十分ある。弱いカードをごまかしつつ使う必要はない。上述の弱点もさることながら、こんな贅沢な世界で1つの方向性に固執する必要がある?というわけで、ここにミッドレンジというコンセプト流行の余地があったのかもしれない。

 

ミッドレンジは基本的に「除去数枚+パワーカード大量+マナカード」で構成されている。カードが強いぶん勝ち筋は多数あり、相手に合わせて一番有効な勝ち筋を選ぶ余裕すらある。相手が自分より早いデッキであれば除去除去→PWでアドバンテージ、相手が自分より遅いデッキであればクリーチャーとPWの両面押しというような立ち回りの多角さ・器用さをもつ。

このような器用さはミッドレンジのデッキリストの汚さによって成り立っている。強いカードは散らす、除去も散らす、サイドも3/2/2/2/1/1・・・マジックから離れている間もtwitterで流れてくる色々なデッキを見て、よく思っていたのがクリーチャーデッキでもデッキリストが汚いということだった。

 

強いカードは4枚!4×9=36が机上論最強!という主張は、こと現代スタンダードにおいては旧時代的かもしれない。しかしながら、ミッドレンジと向き合って日が浅い僕はカードを散らすさじ加減がよくわからない。

使い手の感覚による部分あるのだろうが、感覚という言語化できない部分でデッキを組み上げるのはどうも腑に落ちない。どうしたものかなぁと思いつつ、グローリーブリンガーメイン1枚みたいな画像1の赤単を試す日々。おやすみ~