鳩の話

 

私にとってなにより不愉快であったのは、あのバチバチとうるさい鳩それ自体ではなく、むしろ、その生態や危険性について――なぜあの鳩は電気をまとい、雷のように発光しながら飛び回っている?――何の疑問も呈さず、声をあげない町民の方であった。

確かに人が襲われることこそなかったが、繁殖して町が電気鳩で溢れかえってからはどうか分からない。にもかかわらず、町の者はみな家の窓や玄関口に木製の仕切りを立てるのみで「これで良し」とするのであった。あげく、手なずけて発電機にしようだの、町の顔として町興しに使おうだの、のん気なことを言う始末。いったい誰が得たいの知れない生き物を飼いならすことができようか。奴は見かけばかりは鳩であることに違いないが、ひとたび羽ばたいたものなら、辺りにはバチバチビリビリと痺れるような音が鳴り、周囲の電灯は点いたり消えたりを繰り返した。直接手で触れることなど到底できそうもなかった。

 

先日、向かいの床屋の主人と家の前で立ち話をしたが、この点彼も同じであった。あの鳩は危ない、道理が通じないから駆除した方がよいと言えば、とんでもないといった様子で首を振った。さらに、床屋の主人は電気鳩の誕生に偶然立ち会ったらしく、いまだ興奮冷めやらぬといった様子でその瞬間を子細まで語って聞かせるのであった。

 

「先生、先生はきっと頭が良いから、あいつが身体のどこに電気を蓄えていて……他の鳩とどう違って……だとか、考えてしまうんでさ。ですがね、現にあたしは見たんでさ。いいですか。あの日、あの時はちょうど客の途切れ目で、雲が濃かったもんですから、あたしの店から窓の外を見ていたんでさ。すると、鳩が電線に止まって――ちょうどあの電柱から伸びているあたりですが――それはもう普通の鳩で、愛らしく首を傾げているかと思うと、突然、強い風がビュッと吹きやした。新聞紙が宙を舞って、猫が鳴きやした。風か、猫か、新聞紙か、何に驚いたかはわかりやせんが、その鳩はバサッと羽ばたいて飛び立とうとしたんでさ。そしたらパチッ――と何かがはじけるような音がして、鳩がポトリと地面に落ちやした。」

 

床屋の主人は電柱の根本あたりを指さした。特に何があるわけではない。

 

「きっと頭を打っただろう、かわいそうにとあたしが同情したのも束の間で、鳩はスクッと立ち上がって、羽についた埃を落とすかのようにぶるっと震えやした。するとどうだい、あの音が――バチバチというやつが聞こえてきて、あたしは電線に新聞紙が絡まったかと空の方を見たんですが、そうではない――鳩なんでさ。かわいいもんでさ。それで鳩は元気に飛んでいきやした。バチバチという音が鳴って、仕事用の鏡台を見ると、あたしの毛は怒髪天のように逆立っていやした」

 

それ以来、電気鳩はこの町の景色となった。電気鳩はクッキー(特に、しっとりとした生地のチョコレート味のクッキー)を好み、それは商店通りの菓子屋に行けば買えるのだと、床屋の主人は教えてくれた。
主人の話を聞いて、やはり私は不愉快であった。電気鳩が生まれた瞬間というのも全く意味不明であり、非科学的であった。
そこで、鳩をおびき寄せて観察することにした。誰も鳩の生態に関心がないのなら、私が図鑑にしてやるほかなかった。

 

床屋の主人の言う通りに菓子屋でクッキーを買い、件の電柱のそばの石垣に置いた。早足で家に戻り、窓を開けうる限り開けて、双眼鏡を手に鳩が来るのを待った。いつ使ったきりかわからない双眼鏡を顔にあてると、ツンと埃のにおいがした。ほどなくして、あの騒がしい音がどこかから聞こえてきた。

目論み通り、電気鳩は石垣に降り立ちクッキーをついばみはじめた。じっくり見ても、やはり姿は何の変哲もない鳩であった。その実、この鳩は電気鳩であり、クッキーをついばみながらも時折まぶしく発光した。光は目に良くなかったが、町の者たちを正気に連れ戻すため、私は顔をしかめながら観察を続けた。

 

鳩がクッキーを半分平らげたあたりで、もう一羽の鳩がやってきた。仲間のようであったが、その鳩はバチバチと音を立てて飛ぶこともなく、発光することもなく、すなわち真に何の変哲もない鳩であった。

二羽は細い石垣の上で器用に向かい合い、コクリコクリと顔を動かしていた。双眼鏡を覗きながら、私は思わず安堵したーー電気鳩の奇妙な性質は、今のところ仲間の鳩に伝播していないらしい。

 

「うっ、眩しい!」

 

その瞬間を待っていたと言わんばかりに、二羽の鳩が揃ってこちらを向いた。さらに電気鳩は羽を広げ、到底見つめられないほど強く光った。私は双眼鏡を投げ捨てて目を抑えた。どうやら気付かれていたらしい。

私の安堵は瞬く間に消え去った。虚をつく電気鳩の攻撃は見事であった。電気鳩は知性を備えているに違いなかった。しかし、そうであるなら、なおのこと私は鳩から逃げるわけにいかなかった。この町の命運が私にかかっていた。

 

双眼鏡を拾い上げると、片眼のレンズが割れていた。投げ捨てたときに壊したらしいが、気にせず目元に近づけ、覗き込んだ。

私はその先の光景に思わず息をのんだ。海が――、深い青色の海がどこまでも続いていた。海と、そして空があった。広い空であった。双眼鏡の中に、海と空と風以外のものは何も見つからなかった。この海が筆舌しがたいほどに綺麗で、どんな形容の仕方も似つかわしくないほどであって、私はただ食い入るように双眼鏡を覗き込んだ。双眼鏡の中は穏やかな時間が流れていた。海と空に挟まれて薄青に染まった風が波を運び、どこまでもこの海を広げていった。

呆然と眺めていると、掴まるのに丁度よさそうな流木が波間に漂っているのが見えた。いよいよ私は我慢ならなくなり、双眼鏡にもぐりこんだ。海水は冷たく、ほてった身体に心地よかった。無事に流木にしがみつくと、私はあらためて海と空を見渡した。水は透き通っており、海面からでもある程度の深さまで見通すことができた。鳩が群れを成して泳いでいた。鳩はとても規則的に動き、双眼鏡の世界を飾り立てるのにふさわしい存在であった。

 

この海と空は、どれほど眺めていても飽きることが無かった。あの風のように私も薄青色に染まりきっていた。試みに水に潜ってみると、五十から百羽ほどの鳩の群れとすれ違った。鳩の群れは器用に(やはり規則的に)私のまわりを泳いでいった。

もう一つ、私に向かって泳いでくる影があった。床屋の主人であった。床屋の主人は海中で私を見つけるや、ゆらゆらと手を振った。私も主人に手を振り返した。

 

「何日も誰も先生を見ていないってんだから、家の様子を見に来たら、こりゃたまげた――鳩が泳いでるじゃないか、まるで魚のように!」

 

流木に戻り、目元の水を手で拭った。濡れた前髪が視界に入り、美しい空と海を遮った。前髪は今度床屋の主人に切ってもらうことにした。海と空と風と鳩の世界がどこまでも続いていた。