さよならDiarynote ブログとSNS

 

2000年頃からマジックやってるおじさんおばさんは皆お世話になったであろうブログサービス『Diarynote』が本日で終了するとのこと。
僕もはてなに来る前10年は使ってたので少し寂しい。
久々に見てみたら「さよならDiarynote」などと題して最後の日記を更新してる面々が懐かしすぎる。
移動先はnoteを考えてる人が多いみたいですね。

 

個人的にDiarynoteの良かったところは、ブログサービスでありながらSNS的に他の人の更新が見やすかったところ。
『お気に入り日記』機能は『オープンでありつつも閉じたコミュニティ』を形成するのにちょうどよい機能だったと思う。
SNSはよほど上手く使えない限りオープンになりすぎる(お前誰?なプロモーションが延々流れてくる)。
もしくは、クローズドになりすぎる(友達数人と鍵垢引きこもり)。

 

ただSNS的であったとはいえ、Diarynoteの根幹システムはブログだった。世間的にも、未だにブログ書いてるやつ何者だよという勢いでブログサービスは減っている。
理由は色々あるのだろうが、利用者目線で個人的に思うのはブログを書く/書き上げるという行為のハードルの高さ。
僕はブログとSNSを長いこと両方使ってるけど、その実感としても『ブログに書こうと思うこと』は例えば『Twitterに書こうと思うこと』と性質が違う。

 

例えばTwitterの投稿が『本文』のみで構成されているのに対して、ブログの投稿は『本文』『文章タイトル』で構成されている
本文は何でも言いたいことが書かれるところ。文章タイトルは本文の概要や大まかな方向性が説明されるところ。
文章タイトルを決めるステップでは、本文の言いたいことを簡潔にまとめたり、本文の言いたいことを上位概念化したりする論理的な作業が行われる。
(タイトル→本文の順で書く人も作業的にはどこかで同じことをしていると思われる)
ブログはこのワンステップによってどうしても『何か思った!』から『思ったことを発信した!』までの時間的・心理的な距離が遠くなる。

 

まずブログはワンステップ多いことが単純に面倒くさい。UI面での操作も多い。
さらに文章タイトルを決めるために本文を読み直したり構成を考えたりする中で、書こうと思っていた事柄に対する興奮や思いが冷めたりする。これわざわざ俺がブログに書く必要ある?的な思いがやってきたら終わり。
その点例えばTwitterは何か思った瞬間思ったことだけを衝動的に投稿することもできるわけで、『何か思った!』から『思ったことを発信した!』までがよほど近い。俺が書く必要ある?まで思考が至らず投稿が完了する。

 

ただ、こうしたブログの欠点は逆にブログのいいところでもある。
情動200%で場当たり的に思ったことをツイートしてるだけでは思考の整理はし辛いが、ブログでは『タイトルをつける』という行為によってほぼ必ずそれが行われる。

 

出来事に対する素朴な感想はSNSに書いて、振り返ってみて思うことはブログに書く。
こうした使い分けになるのは各々の特性からして自然なことだと思う。
わざわざ振り返ってみるような特別な体験が無いのはまた別のお話......。