ナポリ

 

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何か食べて美味しいと思ったらそれは美味しい。主観的な感情は僕が現にそう思ってしまっている限り否定されようがない。

僕はもともとアンチ食事(?)で飯に高い金をかけたり時間をかけたりするのが理解できなかった。人と同棲してた時も買い物/調理/食事/片付けに時間かけて他のことをしないのが耐えられなかった。

けど最近はわりとそうでもない。美味しいという感情は個人的に追究するのによい対象だと思う。

 

Life could be

 

最近働いて勉強して寝る日々で、それはそれで悪くないけどなんか適度な趣味が欲しい感じ。ソシャゲ?

 


そういえば今更だけど1年前に取り組んでいたゲーム制作の話。
プレイ時間10分ぶんくらい作ったところで友人にやらせたら「面白くなる気がせん」とめちゃ不評で簡単に心折れて開発中止。・*・:≡( ε:)ピューン
何か作って完成させられるオタクはすげえよ。
ただ制作ソフトのティラノスクリプトで覚えたhtml/css/javascriptの基礎の基礎はわりと知識として役に立ってる、ことにする。

 

一家の六月(と五月)

 

5月も6月も何をしてたという感じではなくて全然日記更新せんかったな。

 

 

3年前くらいの話。中学校の同級生数人と上高地に行ったんですが、そのうちの1人(M.Tさん(仮称))が河原の石を「きれいだから」と良い歳して持ち帰ってしまったんですね。

その後、河原の石を持ち帰るのは窃盗になり得るうえ霊的によくないことが発覚し(参考)、「返しに行かなきゃ」という話をしてたのですが、いったいなんの偶然か世界中でコロナが大流行し、なかなかグループで集まれる感じでもなくなってしまい......。

石を磨き何者かの怒りを鎮めること3年。ついに今年、ゴールデンウイークに同じメンバーで再び集い、同じ河原へ石を投げ返すことができました。和製ホラーならこのあと誰かのカバンの中からその石が見つかるものと思われますが、今のところ大丈夫そうです。新型コロナウィルスの早期収束を祈っています。

 

 

 

あと5~6月はSNC(ニューカペナの街角)のドラフトシーズンでぼちぼちMOやってた。
ドラフトリーグを延べ70回くらいやってトロフィー16個。トロフィー率20%ちょいくらい。速度感とかへの適応がかなり遅れた感じで総合的には神河よりだいぶ勝率低かった。

この環境は神河と比べるとめちゃ過疎で8人集まるのに20分待ちがザラだった。過疎だとマジで強い連中(トロフィー40個とか50個とかたぶんMOで小遣い稼ぎしてるレギュラー)とよく当たる。そういう連中はやっぱりデッキも良いしプレイもうまい。

 

これはドラフトリーグとかプレミアドラフトの本質情報だけど、リーグ形式のドラフトは8-4的なシングルエリミドラフトと異なり、違う卓でピックしてたやつにも勝たないといけない。つまりピックラウンドの上家とか下家とか死ぬほどどうでもよくて*1、他の卓でドラフトしてるレギュラー含む「同時接続してるやつら」をぶっとばせるデッキを組まないといけない。難しくない?

 

ここで大事になるのはアーキタイプ理解度かなと思う。いかにデッキをシステム化して組めて、かつスムーズに使えるか。

「この環境の〇〇〇使うの俺よりうまいやつおる?w」←この境地はリーグ形式ドラフトの一つの答えかもしれない。ピックラウンドをともにするだけの7人に目線が向いていてはいけない。倒すのは違う卓の3-0デッキ、うまいプレイヤー。

だからある種の理想形態としてのリーグドラフターは、きっと1パック目初手を見る前の時点で組むデッキが2~3種類で決まっている。極めたアーキタイプしか組まないから。そして《轟く雷獣》を流して《ウイルスの甲虫》を取ったりする。マスタークラスの青黒忍者を組んで使えるから。レア流しても自分がそれをプレイされるわけじゃないし。

 

 

 

ドラフトリーグは僕が思ってたよりよほど構築戦的なやりこみの側面が強いゲームかもしれない、ってのがニューカペナの気づき。まぁ環境によりますけどね(便利な予防線)。

*1 とはいえ異次元の過疎り方してると3戦中最初の2戦くらいは同卓のやつと当たるから、ドラフトリーグでも環境末期ではカットした方がいいことはあるかも。

 

5種類以上のマナ総量があるかぎり

 

 


このへん「墓地に5種類以上のマナ総量があるかぎり~」の条件満たすと強いけど、いつも5種類揃わなくて苦労する。

 

普通にデッキ組むとマナカーブのボリュームゾーンは2マナ・3マナ・4マナになるから、典型的な5種類の内訳は次のようになる。

1種類目......0マナ(土地)
2種類目......2マナ
3種類目......3マナ
4種類目......4マナ
5種類目......1マナ/5マナ以上

この5種類目が曲者で、ピックラウンドから意識していないと「あれ、このデッキ条件満たすことある?」みたいになりがち。新聞記者が一生灰色熊なのはやばい。

そこでSNCのカードプールに存在する1マナのカードと5マナ以上のカードを見直してみた。
レアと神話レアは除外。

 

まず青か黒でプレイできてかつ1マナであるカード。バツ印は概ねアンプレのやつ。
いきなり選択肢少なすぎる。しかもラッキーと証人保護は墓地から消えたり墓地に落ちなかったりする。
アンコモン3種も常にピックできるカードじゃないし、小包が案外偉いかも。

 

 

次に青か黒でプレイできてかつ5マナ以上のカード。
またしても選択肢が少ない。うすのろとスリのありがたみがわかる。見たら取れ!
ワニは安いし無二の6マナだからほぼ捨てるためだけの存在としてはまぁ。非常食のワニ肉。

 

 

次に青黒と仲のいい色で1マナ。
フラット気味に組むとしても使いたくない面々で震える。稲妻しかない。
(追記: MOのMana Valueフィルターでは出てこなかったけど赤Xの除去も1マナでした)

 

 

同様に5マナ以上。マルチ2種と、除去ない非常時に除去2種くらい。
マルチ2種は青黒のゲームレンジ的には強い。手なりで追放すると謀議で墓地落とせなくなって苦労するかも。

 

感覚的には1マナ/5マナ~が5枚あれば中盤からそれなりに条件満たすイメージ。4枚でギリ。
ただこのカードリストから4枚5枚採用してデッキパワー維持するのは難しい。1マナ1点、1/1/2、うすのろ、スリ、7/5/4あたりは積極的に使いたいカードとして貴重だしかなり点数上げてピックしていいかも。

 

2月3月そして4月

 

相変わらずゲームしかしてないけど、ゲームしかしてない時の僕は心身ともに比較的健康であるという事実。

上振れに感謝。

 

 

2月上旬に神河発売してからMOでめちゃくちゃドラフトしてた。結局2か月で100回以上だから毎日2回くらいのペースでやってた。それでも全然飽きない面白い環境だった。たぶんカードが弱めだったから面白かった。

300パック以上開けたら当然カードも4枚ずつ揃ったので初代テーロスぶりに現物化した。

神河ドラゴンズをどこかに飾っておきたい。

 

 


あと2月末にエルデンリング発売。面白すぎワロタ。久々に寝る間も惜しんでゲームやったぜ......。

トロコンしてアプデ待ち。

 

 

トロコン記念に謎の卵の前でパシャリ。

1週目は主に猟犬の長牙、2~3週目は主に神の遺剣(エルデの獣のやつ)使ってた。

 

5月はニューカペナ発売。またずっとドラフトしてるでしょうね!

 

さよならDiarynote ブログとSNS

 

2000年頃からマジックやってるおじさんおばさんは皆お世話になったであろうブログサービス『Diarynote』が本日で終了するとのこと。
僕もはてなに来る前10年は使ってたので少し寂しい。
久々に見てみたら「さよならDiarynote」などと題して最後の日記を更新してる面々が懐かしすぎる。
移動先はnoteを考えてる人が多いみたいですね。

 

個人的にDiarynoteの良かったところは、ブログサービスでありながらSNS的に他の人の更新が見やすかったところ。
『お気に入り日記』機能は『オープンでありつつも閉じたコミュニティ』を形成するのにちょうどよい機能だったと思う。
SNSはよほど上手く使えない限りオープンになりすぎる(お前誰?なプロモーションが延々流れてくる)。
もしくは、クローズドになりすぎる(友達数人と鍵垢引きこもり)。

 

ただSNS的であったとはいえ、Diarynoteの根幹システムはブログだった。世間的にも、未だにブログ書いてるやつ何者だよという勢いでブログサービスは減っている。
理由は色々あるのだろうが、利用者目線で個人的に思うのはブログを書く/書き上げるという行為のハードルの高さ。
僕はブログとSNSを長いこと両方使ってるけど、その実感としても『ブログに書こうと思うこと』は例えば『Twitterに書こうと思うこと』と性質が違う。

 

例えばTwitterの投稿が『本文』のみで構成されているのに対して、ブログの投稿は『本文』『文章タイトル』で構成されている
本文は何でも言いたいことが書かれるところ。文章タイトルは本文の概要や大まかな方向性が説明されるところ。
文章タイトルを決めるステップでは、本文の言いたいことを簡潔にまとめたり、本文の言いたいことを上位概念化したりする論理的な作業が行われる。
(タイトル→本文の順で書く人も作業的にはどこかで同じことをしていると思われる)
ブログはこのワンステップによってどうしても『何か思った!』から『思ったことを発信した!』までの時間的・心理的な距離が遠くなる。

 

まずブログはワンステップ多いことが単純に面倒くさい。UI面での操作も多い。
さらに文章タイトルを決めるために本文を読み直したり構成を考えたりする中で、書こうと思っていた事柄に対する興奮や思いが冷めたりする。これわざわざ俺がブログに書く必要ある?的な思いがやってきたら終わり。
その点例えばTwitterは何か思った瞬間思ったことだけを衝動的に投稿することもできるわけで、『何か思った!』から『思ったことを発信した!』までがよほど近い。俺が書く必要ある?まで思考が至らず投稿が完了する。

 

ただ、こうしたブログの欠点は逆にブログのいいところでもある。
情動200%で場当たり的に思ったことをツイートしてるだけでは思考の整理はし辛いが、ブログでは『タイトルをつける』という行為によってほぼ必ずそれが行われる。

 

出来事に対する素朴な感想はSNSに書いて、振り返ってみて思うことはブログに書く。
こうした使い分けになるのは各々の特性からして自然なことだと思う。
わざわざ振り返ってみるような特別な体験が無いのはまた別のお話......。

 

紙の媒体特性とアルケミー

 

人はなぜ紙に魅かれるのか ―「紙の力」からみた未来

 

紙は人間との親和性が高くて人間の認知処理機能にポジティブな働きをするらしい。人間は紙に触ってるだけである種の幸せを感じたりするそうな。

するとWotCが長年かけて蓄積してきたプレイヤー体験のデータ(満足度とか)ってやっぱり「厚紙」という媒体に寄る部分が多分にあって、デジタルは思った以上に手探りでやってるのかもね。鳴り物入りで登場したアルケミーの盛り上がらなさにWotCの苦悩を垣間見るわけです。

紙の感情価の高さによってギリギリ存在を許容されていたカードは、おそらくデジタルでは不快極まりないカードとしてプレイヤーに忌み嫌われる。同様に「気持ちよさ」的なものが紙の媒体特性と結びついていたカードやデッキはデジタルではその良さを最大限発揮できない。一時的に手札がたくさん増えるカードとか、ドレッジとか、そうかも?

僕的にテーブルトップは余計な情報が多すぎるから麻雀もポーカーもMTGも全部デジタルが良いくらいだけど、紙のプレリに特別な楽しさがあるのは認めざるを得ない。コロナ早く収束せんかなぁ。