《血染めの月/Blood Moon(A25)》2

 

 ウォレスはストラスブールの旧家の生まれで、私たちはカトリックの学校で知り合った。学校を卒業した彼はすぐに父が所有する織布工場で経営を学びはじめ、ついにはその立派な後継ぎとして、多くのものがその名を知るところとなった。
 彼は骨董の収集に凝っており、私の古美術店の上客でもあった。貴族やブルジョワに顔を利かせて古今東西から集めた彼のコレクションは、一日二日ではとても見切れないほどであった。そんな彼のもとには、由緒正しきものから真偽の定かでない眉唾ものまで、引き取り手を求めているあまたの品の情報が集まっていた。それらのうち、彼の趣味でないものについては私に情報が回され、もの次第では私が買い付けに出向くというのがお決まりであった。

 

「面白いものが手に入った。ぜひ君に見てほしい」

 

 嵐の前の静けさとはよく言ったもので、彼を死に至らしめ、私の人生を狂わせた忌まわしい事件も何気ない手紙のやり取りで幕を開けた。私向けの商談があることを知らせてくれる手紙であるが、少し妙だったのが、普段とは異なりその美術品とはどのようなものであるかが一切書かれていなかったことである。何より効率を重んじる経営者であった彼をして、こうももったいぶった言い回しをさせる品とはいったいどんなものであろうという興味もあり、翌日には汽車に乗り彼の屋敷を訪れた。

 

 日が沈みきるまでにはなじみの屋敷に辿り着くことができた。しばらく私の仕事が忙しかったために、彼と顔を合わせるのはおよそ半年ぶりであった。ここ最近夢見が悪いとのことで若干疲れた表情をしていたが、歯切れの良い話ぶりは健在であり、気にかけるほどではないように思われた。その時私の関心は専ら件の美術品にあったわけだが、彼は「まずは夕食でもどうだ」となおも勿体付け、私を食堂へと促した。私たちはライ麦のパンや青海亀のスープ、魚卵の塩漬け、獣肉の煮込み、カスタードプディングなどを賞味した。思いのほか豪勢なもてなしをされて戸惑ったが、もしかしたら彼は、これが最後の晩餐となることをどこかで予期していたのかもしれない。
 イタリアから買い付けたというくるみ酒を味わったところで、いよいよ、手袋をした召使いが白いハンカチーフに載せて手紙の品を運んできた。あぁ、初めてそれを目の当たりにした時の心地を、恐怖を、私はそれを書き綴らねばならない。しかし、それはあまりに筆舌に尽くしがたい体験であった。何かと言えば、その品は数枚の赤いコインであった。深く、そして澄んだ、惹きつけられるような赤色をしており、私たちが貨幣として使用しているものよりひと回りほど大きい。それゆえに、円の中心部に刻まれている得体の知れない生物の姿がひと目でよくわかった。病的な想像力の持ち主であってもおよそ考えつかぬであろうその生物は、強いてこの世に生息する生き物で例えるならばヒトとヒキガエルの混種である。顔と思しき部分には無数の触手が生えており、それが蠢く姿は想像するだに気を狂わしめるほど恐ろしい。異様に細い二本足で立ち、手には長槍のようなものを携えている。この長槍は人間を狩るために使われるものに違いない。古美術商として往古来今の美術品に触れてきたが、思わず椅子を立ち後退りするほどの禍々しさを物に見出したのは後にも先にもこれきりである。どのような目的で製造されたものかもわからない。そのコインは危険だと本能が告げていた。

 

 ウォレスによれば、それは現在使用されている貨幣ではなく、ルイジアナの沼沢地において先住民族の遺跡から発掘されたものであった。ニューオーリンズの商社と取引した際に「珍しいものだから」と半ば強引に押し付けられたが、気味が悪いので捨てるのも気が進まず、途方に暮れていたというのが事の経緯らしい。彼には申し訳なかったが、私の顧客にはこのようなおぞましい装飾品をありがたがる変わり者はいなかったし、何よりひと時でも私の手元にこれを置いておくことなどとても考えられなかった。丁重に引き取りを断ると、彼は難しい顔をしつつも召使いにコインを引き上げさせた。

 

 

続き

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